東京高等裁判所 平成8年(う)1521号 判決
被告人 藤森久男
〔抄 録〕
論旨は、要するに、原判決は、被告人が他の者と共謀してサリンを生成しようとした旨の殺人予備の事実(原判示第一)を認定しているが、被告人には不特定多数の者を殺害する目的も、他の者と殺人予備の共謀をした事実もないこと、被告人のサリン生成化学プラントへの関与はわずかにすぎない上、同プラント自体が未完成に終わったことなどにかんがみ、被告人につき殺人予備罪は成立しないというべきであるから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というのである。
そこで検討すると、原判決は、宗教法人オウム真理教(以下「教団」という。)代表者松本智津夫及び教団所属の多数の者が共謀の上、不特定多数の者を殺害する目的(大量殺人の目的)で、平成五年一一月ころから平成六年一二月下旬ころまでの間、教団施設の第七サティアン及びその周辺の施設等において、第七サティアン内に設置する五工程から成るサリン生成化学プラント工程等の設計図書類の作成、同プラントの施工に要する資材、器材及び部品類の調達、その据付け及び組立て並びに配管、配電作業を行うなどして同プラントを完成させ、さらに、サリン生成に必要な原材料であるフッ化ナトリウム、イソプロピルアルコール等の化学薬品を調達し、これらをサリンの生成工程に応じて同プラントに投入し、これを作動させてサリンを生成しようとし、もって殺人の予備をしたとの事実を認定し、被告人については、平成六年八月上旬ころから右共謀に加わり、第七サティアンにおいて、第一工程の運転制御の作業などに従事したとして、殺人予備罪の成立を認めているところ、原判決の掲げる関係証拠によれば、右の事実は優に認められ、このサリンを生成しようとした一連の行為が殺人予備に当たることに問題はないから、被告人は、承継的共同正犯として殺人予備罪の責任を免れない。以下、所論主張の問題点につき判断する。
一 原判決の掲げる関係証拠によると、次のような事実が認められるが、関係者は、教団代表者松本智津夫を始めとして、いずれも教団所属の者である。
1 松本は、ハルマゲドン(人類最終戦争)の勃発を予言して、平成五年夏ころには、幹部の村井秀夫らと大量殺人を共謀し、サリン七〇トンの生成やそのヘリコプターによる散布などを企てた。
2 間もなく、村井からの指示を受けた土谷正実が、大量のサリンを生成する方法の検討、実験に入った。
3 同年八月ころから、長谷川茂之らが、ダミー会社を介するなどして七〇トンのサリンの生成に必要な大量の化学薬品を含む原材料の購入を始めた。他方、幹部の早川紀代秀らによりサリン生成工場となる建物の建設が行われ、同年九月ころには、第七サティアンとしてこれが完成した。
4 同年九月ころから、滝澤和義が、村井の指示により土谷からサリンの生成方法を学び、同年一一月ころまでには、サリン生成化学プラント(以下「プラント」という。)建設の基本設計につき工程図を作成するなどしてほぼ完成し、それに必要な機器類の選定に取り掛かった。
5 同年秋ころから、幹部の岐部哲也らがアメリカでヘリコプターの操縦免許を取得し、早川らが旧ソヴィエト連邦から大型ヘリコプターを購入しようとするなど、ヘリコプターによるサリン散布の準備が進められた。
6 サリン生成方法を研究してきた土谷は、佐々木香世子、森脇佳子、寺嶋敬司らの協力を得て、効率的で量産可能な五工程から成るサリン生成方法を考案し、同年一一月初旬、第七サティアンに近接する実験棟のクシティガルバ棟において、その方法により標準サンプル約二〇グラムを完成させた。
7 そして、これに引き続き、右五工程から成る生成方法によるプラント建設のための具体的設計作業に入り、それに必要な設計図書類の作成を進めたが、その過程で、サリン生成工程の一部に改良が加えられた。
8 他方、七〇トンの生成に必要な化学薬品等の原材料の購入は、平成六年二月ころまでにほぼ終わり、そのころから、松本の督励に基づき、多くの者が分担して、プラントの具体的な設計作業を急ぎ、プラント用機器類を逐次購入するなどした上、同年三月か四月ころから、第七サティアンにおいて、プラントの建設に取り掛かり、同年六月、ヘリコプターも購入され、同年七月には、プラントの稼働態勢に入るため、中川智正が、村井から指名されてその稼働責任者になった。
9 同年七月下旬か八月上旬、プラントの稼働要員として十数名の者が指名されて、第七サティアンに常駐するようになり、同年九月までには、プラントの第一及び第二工程が稼働し、残されたプラントの建設も改良を加えながら続けられ、同年一〇月か一一月には、プラントが全体としてほぼ完成した。これと並行して、サリン保管用の大量の容器、作業用の防護服が調達され、地下貯蔵庫も建設された。
10 このようにして、同年一二月下旬までには、プラントの第一ないし第四工程を稼働させて各工程の生成物が出来上がり、ただ、五塩化リンの生成工程等につきなお改良の余地があって、計画された一日二トンのサリンの生成は難しかったものの、相当大量の生成は可能な状態に達していた。なお、第五工程は、第三及び第四工程の各生成物と他の薬品を反応釜に入れて反応させることにより容易に行うことができるものであった。
11 ところが、平成七年元旦の新聞報道によりサリン生成の発覚のおそれが生じたため、その生成作業を中断した。それとともに、既に生成されていた中間生成物が隠匿、廃棄され、証拠隠滅が図られるなどした。
12 被告人は、教団のいわゆる自治省に所属する出家信者であって、松本がハルマゲドンを予言しそれに対する準備の必要を説いていることを了知していた。
13 平成六年七月下旬か八月上旬、前記9のとおりプラントの稼働要員として十数名の者が指名された際、被告人も、稼働要員とされて第七サティアンに入り、外出を禁止され外部との連絡も禁じられるなど、高度の機密保持態勢の下に置かれた。この第七サティアン入りの前に、他の稼働要員と一緒に教団施設の第二サティアン三階の松本の居室に集められ、松本から「重要なワークで、四〇日間の独房修行となる。オペレートの最中に操作を間違えると、富士山麓全体が全滅するくらいの危険性がある。」という趣旨の説明を受けた。
14 また、第七サティアン入り後すぐに、稼働責任者の中川から、最終生成物がサリンであることを秘したまま、プラントの生成工程について、三塩化リン、五塩化リン、ヘキサン等の薬品を使用し、メチルホスホン酸シクロライド、メチルホスホン酸ジフロライドなどの中間生成物を作るなどの説明を受け、さらに、「最終生成物は、無色無臭のため吸入しても分からない。吸入したり皮膚に付着したりすると、視界が暗くなり、体が動かなくなって、最終的には呼吸ができなくなり、死に至る。視界が暗くなったら、すぐに治療を受けるように。」という趣旨の説明があった。
15 その上で、同年七月下旬か八月上旬から同年一二月下旬までの間、プラント稼働要員として第七サティアンに常駐し、最終生成物の完成を目指して第一工程の運転制御の作業などに従事したものである。
二 以上の事実関係を前提にして所論を考えると、所論は、まず、平成六年一二月下旬までの間にプラントの第五工程につき試運転も稼働もされていないのに殺人予備罪の成立を認めるのは、罪刑法定主義に反するというが、そのように解すべき合理的な理由はない。一の6のとおり、土谷が効率的で量産可能な五工程から成るサリン生成方法で標準サンプルの生成に成功したことにより、サリン生成工程がほぼ確立されたわけであるが、その時点における客観情勢としては、同3ないし5のように、七〇トンのサリンの生成に必要な大量の原材料が集められつつあり、サリン生成工場としての第七サティアンが既に完成し、プラント建設の基本設計もほぼ完了し、それに必要な機器類の選定も進められ、ヘリコプター購入の手配もするなどの情況が他方で認められるのであって、これらの情況を併せ考えると、同6のサリン生成工程がほぼ確立された段階で、企図された殺人の実行行為に不可欠なサリンの量産へ向けての態勢に入ったといえる。このような状態に達した後、同7ないし10のとおり、これに引き続きサリンの大量生成に向けてされた諸行為は、企図された大量殺人の実行のために必要で、かつ、その実行の危険性を顕在化させる準備行為であるから、殺人予備罪として可罰性を有するというべきであり、所論のようにプラントの第五工程の稼働によりサリンを生成させることは必ずしも必要でないと解するのが相当である。
次に、所論は、殺人予備の故意と共謀に関する原判決の補足説明、すなわち、被告人には、遅くとも一の14の中川の説明を受けたころに、サリンとの明確な認識はないものの、最終生成物が死を招くほどに毒性の高い物質であり、それをひそかに大量に生成することの認識があったものと認められ、かつ、被告人は、同13の松本の説明を受けて重大なワークに参加できるのであれば死んでもいいという気持ちと自分自身の修行にもなるという気持ちで第七サティアンの作業に従事することにしたというのであるから、右の認識を得たころには、殺人の目的を持って、既存の松本らによる殺人予備の共謀に加わったものと認められる旨の説示を非難し、被告人には不特定多数の者を殺害する目的がなく、また、松本の説明が余りにも抽象的であり、中川の説明も漠然としていたため、被告人はこれを理解することができなかったのであるから、殺人予備の共謀を認めるのは誤りである、というのである。しかし、被告人には大量殺人の目的がなかったという点については、殺人予備罪の成立には自己の行為が殺人の準備行為であることの認識があれば足り、その殺人が自ら企図したものであるか共犯者である他の者が企図したものであるかはその成否を分ける要件ではないと解されるから、被告人に大量殺人の意図がなくても、自己の行為が松本らの企図する殺人の準備行為であることの認識がある以上、殺人予備罪が成立し得る。これを踏まえ、所論が共謀を否定する点について判断すると、松本及び中川の説明内容は、一の13及び14に記載したとおりであって、その意味するところが、プラントを稼働させて死を招く毒ガスのような極めて危険な化学薬品を大量に生成するというにあることは、文言自体から容易に理解することができたと認められる(被告人は、捜査段階の当初において、宇宙食のような未来食か、爆弾か、ガソリンに代わる燃料ではないかと考えていた旨供述しているが、無色無臭の物で吸入又は付着により死に至るという最終生成物の説明があったことからして、被告人の右供述部分は採用することができない。)。そして、このような説明を受ける前の状況として、松本によるハルマゲドン勃発の予言(一の1)、大量の化学薬品を含む原材料の購入(同3、8)、第七サティアンの建設、完成(同3)、プラントの建設着手(同8)等の諸事情があることをも併せ考慮すると、被告人は、具体的な計画まで把握していなかったとはいえ、松本らが毒ガスのような化学薬品による大量殺人を企図し、その準備としてそのような化学薬品を秘密裏に大量に生成しようとしているのではないかと考えながら、これに加わる意思を持ってプラント稼働要員になったものというべきである。要するに、被告人も、第七サティアンに入ってすぐに、松本らの殺人予備の共謀に加わったものであって、これを否定することはできないわけである。ちなみに、被告人の検察官に対する供述調書(乙三、四号証)によれば、平成六年一一月か一二月ころ、仲間の者が話しているのを聞いてサリンと知り、ハルマゲドンで大量殺人に使用されるものと考えたというのであるから、被告人は、右の共謀時には最終生成物がサリンであることまでは知らなかったと思われるが、サリンと特定した認識がなくても、死を招く毒ガスのような化学薬品との認識がある以上、共謀の成否に影響を与えない。
なお、所論は、被告人のプラントへの関与の程度も問題にしているが、被告人は、右の殺人予備の共謀に基づき、一の15のような行為をしているのであって、予備行為の一部を分担していることは間違いがない。
三 原判決には所論のような事実の誤認はなく、論旨は理由がない。
(神田忠治 小出[金享]一 山崎学)